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イスラムの祝日「アシュラ(Ashura)」とは?断食・血だらけで死亡者も発生?

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こんにちは。あゆ(@houriajewels)です。

 

2020年の8月28~29日にかけてイスラム教の祝日、「アシュラ(Ashura)」でした。

イスラム教には「スンニ派」と「シーア派」という2大派閥が存在します。

アシュラはシーア派という宗派で、最も重要視されている祝日・宗教行事です。

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▼目次

アシュラとは?その意味と歴史

アシュラ(Ashura)(アラビア語:عَاشُورَاء)は、イスラム暦の最初の月であるムハラムの10日目のこと。

ムスリムの最初の月であるムハラムの10日に観測されるイスラム教の祝日(グレゴリオ暦の日付)。

 

この用語は、アラビア数字の10に由来します。

ムハラムという言葉の意味は「禁止(Haram)」で、ムハラム月は一年で最初の月。

ムハラムは戦いが許可されなかった4つの聖なる月の1つでした。

 

アシュラは、スンニ派イスラム教徒にとって、モーセとイスラエル人がファラオから海に道を作る神によって救われた日。

シーア派イスラム教徒にとっては、イスラムの預言者モハメドの孫であるフセイン・イブン・アリがカルバラの戦いで殉教した日。

 

アリが暗殺されたあと、彼の息子フセインが現在のイラクのカルバラの地で、ウマイヤ朝軍に惨殺された悲しい事件「カルバラの悲劇」を再現したものです。

シーア派の信徒の間でアシュラはイマーム・フサインが殉教した日として特に重要視されています。

シーア派とスンナ派に分かれるきっかけになったイベント

このフセインの殺害、「カルバラの悲劇」事件は、イスラム教がシーア派とスンナ派に分かれるきっかけにもなりました。

イスラム史の初期には、シーア派は預言者ムハンマドの義理の息子であるアリとイスラム教徒コミュニティの4番目のカリフを支持する政治派閥でした。

スンニ派とシーア派の間の大きな分裂は、アリが預言者モハメドの死で、イスラム共同体のリーダーとして成功しなかったときに発生しました。
アリは殺害され、彼の主な敵であるムアウィヤはカリフになりました。

カリフ・ムアウィヤは後に彼の息子のヤジドによって引き継がれましたが、アリの息子フセインは彼の正当性を受け入れることを拒否し、2人の間の戦いが生じた。
フセインと彼の追随者たちは、カルバラでの戦いで虐殺されました。

アリとフセイン両方の死は、シーア派の殉教のカルトと、裏切りの感覚と不正、抑圧と専制に対する闘争を引き起こしました。
現在シーア派は、全世界のイスラム教徒人口の約15%を占めています。

アシュラは断食の日

アシュラはシーア派イスラム教の巡礼の祝日で、スンニ派イスラム教では、断食の日です。

 

アシュラでの断食は初期のイスラム社会では当たり前のことであり、預言者モハメド自身も、この日断食しました。

しかし人生の後期、預言者モハメドはイスラム暦を調整させた啓示を受けました。

 

これにより、9か月目のラマダンは断食の月となり、アシュラで断食する義務はなくなりました。

しかし現在でも義務ではないものの、多くのムスリムはこの日に断食をします。

血だらけのイベント・過激派による死者や負傷者も発生

シーア派の人々は「カルバラの悲劇」を忘れないよう、毎年「カルバラの悲劇」が起こったイスラム歴ムハラム月の10日に振り返り、劇や仮装行列で当時の出来事を再現するパレード。

 

カルバラの戦いで、第3代イマーム・フセインが受けていた苦しみを表すために血だらけの洋服を着て、更新します。

一部の国では、鎖の束で、自らの胸や背を打ち付け、声を合わせながら行進する様子も。

 

「アシュラの悲劇」で惨殺された一族の痛みを味わう為に行い、シーア派ムスリム男性としての自覚を促します。

アシュラのパレードでは、鎖状の鞭を用いて自ら鞭打ち行いながら行進していく姿が見られます。

 

 

赤ちゃんの頭や首に矢が貫通して、血だらけの様子…。

リアルすぎて怖いです。

 

この時期は過激な行動をする過激派な組織「イスラム国」など、各国ではテロへの警戒も高まっている敏感な時期でもあります。

イラク、イラン、アフガニスタンではたくさんの死亡者、負傷者がこの日に発生しました。

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