こんにちは。あゆ(@houriajewels)です。
日本人ははっきりしない性格、物事を何事もオブラートに包んで語るスタイルとよく聞きますが、果たして本当にそうなのでしょうか?
日本人に限らず、人間の本能的に「白黒はっきりさせたい」という欲求は備わっている気がします。
特に日本人は「数字」ではっきりさせることに好むような気がします。
▼目次
言葉ではっきりと表現する欧米人
海外といっても幅広いのですが、例えばヨーロッパや欧米人は言葉ではっきりと表現することが多いとよく聞きます。
「あなたは〜な人だよね」
「この服の色はあなたの肌色とあんまり合っていないわね」
などと、褒める時も、ネガティブなことを言う時の表現の際も、自分の言葉を使って直接的に言う。
これに対して日本ではあまりはっきりと、しかも本人の前でその人のことをDescribe=説明するようなことはあまり好まれません。
言い方が悪いかもしれませんが、その人のいないところでその人の話題をすることが多いかもしれません。
それは悪口の場合も、褒める時も、両者とも、第三者同士で話されるような気がします。
〜恋愛〜
好きな人の前ではあまり直接的なアピールはできないけれども、影、裏では実は熱烈に恋をしていた。
その人のいないところで、友達同士、恋話で盛り上がってしまうのも文化的な特徴かもしれません。
好きな人の前で猛烈に「私はあなたが好き!!!」といった表現をきちんとする人は珍しがられるかもしれません。
もちろん恋愛や性格などは人それぞれですし、一概にこう、とは断言できないですが、あくまでも文化的な特徴、傾向としてこう感じました。
・年齢を気にして、言葉の使い方を変える(敬語、タメ語)
・恋愛する年齢差の平均値
・同年代に対する異常な親近感
日本では特に、年の功に対する執着心も見られます。
「アラサー・アラフォー・アラフィフ」などといった年齢層を表現する単語を生み出すことも好きですね。
成績や性格、偏差値も全部数字で評価しちゃう教育
成績も多くは五段階評価でスコアされます。
協調性や責任感と言った本人の性格的な部分でも五段階評価されます。
・テストの点数を順位付けした表
・成績上位者なども学校の掲示板などに飾られる
これらの光景はどの学校でも見られます。
偏差値などで個人の頭の良さや、学校の優秀者なども測ります。
欧米などでは偏差値自体が知られていなく、あまり一般的に使われないそうです。
中学や高校の試験なども、日本や韓国、中国などのアジア圏では「一つの答えが決まっている回答(選択式など)」を求めることが多いテスト用紙です。
記述式や文章などの回答を求めることが多い欧米式など教育面での差異が見られます。
これは授業でのディスカッションの多さにも比例していると思います。
また体育祭の短距離走でも、順位がナンバリングされ、スコアされたものが勝利を決めていく方式も日本ならではかもしれません。
ダイエットの面でも数字が基準の世界
日本の女性は体重に対する数字に強い執着心があります。
例えばgoogle検索で自分の身長を打つとすぐ検索候補上がるもの。
「〜cm 平均体重 女性」
「BMI」「シンデレラ体重」
容姿の美しさの指標を体重という数字で測ろうとする傾向多いです。
日々のカロリー計算や体脂肪率などへのこだわり、今日は腹筋を何回した、何時間運動した、起きてから何時間以内に食事をする、1日に何回食事をするべきか…など容姿に対する努力の指標も数字で表すことで安心感を得る方が多いでしょう。
少しこれに惑わされすぎて、鬱病や摂食障害になってしまう人も中にはいます。
言葉でのはっきりとした表現を自分に対して求めるにはある程度の人間関係やコミュニケーション能力がいる反面、数字での表現は割と自己完結してしまう「楽さ」もあり、これが原因で自分の殻に閉じこもってしまうこともあります。
数字は表面的で単純化されすぎる世界に対し人間はもっと複雑
ダイエットも学力も数字を基準に判断しがちです。
数字はわかりやすく、客観的に見られる面で効果を発揮します。
しかしあまりにも囚われすぎると、少し危険な判断をしてしまうかもしれません。
数字で何かを上、下と決めるのではなく、自分で考え、判断して、何が自分にとって良いのか、優先するべきかなど「自分の感覚や基準、価値観」を持つことが、人生を豊かにしてくれるエッセンスになるのではないでしょうか。
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